ものすごく抽象的な話。覚書。



午後から、人と会って話をしていたら、私のある問題についての話になった。コミュニケーションについての問題。相手も、それを取り扱うのはこわいといいながら、伝え方やタイミングをみて話してくれた。
もちろん私も、その問題は把握していてずっとずっと抱えていたものだし、出来れば直ればいいと思っていたものだけど、その根っこはとても深くて、正直人に触れられるのは非常に嫌だった。だって、原因も、それの良さも悪さも全部分かっていてもそうしなければならない私の苦しさを、周りに悪影響を与える問題としてあげつらわれるだなんて我慢ならない。逃げ出したくなる。私がそうなのは、周りのせいなのに、って周りを非難して殻に閉じこもりたくなる。元々、閉じ気味の根暗の人間だし、周りの誰にもほとんど興味がないし、静かに、少しの理解者と関われればいいと思っていたし今もそう思っている。でも、今いる立場として積極的に人と関わることが求められている。そのギャップを埋めるために、また自分を守るために、不本意な立ち振る舞いをする別の人格(二重人格、というほどではないけれど)を作るのは、当然の結果だったと思う。人当たりが良くて明るくてリアクションが大げさで"ぶりっこ"の私は、本当の自分を知られないための、本当の自分が傷つかないための防御壁だから。
その人は、その部分には理解を示してくれたけれど、必要のない場でそういう立ち居振る舞いをするのはよろしくない、不愉快でもある、コントロールをするべきだと言った。"ぶりっこ"の私は同性から反感をかうだろうし、そういう取り繕いは必要がない、と言った。だったら、その組織を、私が信頼できて私を受け止めてくれるものにして欲しい。そうでないと、ちゃんと本来の自分でいられない。本来の自分でいることは、ある意味すごく大変だから。取り繕った自分でいるときに、本来の自分を見抜かれるのは、相手に悪意があってもなくてもすごくこわいことだと感じるくらいに、本来の自分を出す対象は限られていた。
ただ、取り繕わずに本来の自分で人と接する人がすごくうらやましかったしそうなれれば良いのに、と何度も思っていたから、この機会にチャレンジをして変化したい、ずれたそれを正したいと思った。その気持ちを伝えたら、それは良い事だって言ってもらえたから、それは少し良かったなと思う。
本来の自分で人と関わるなんてあまりしたことがないから、すごくこわい。本来の自分は我侭だしあまり人当たりが良くないから、きっといろいろ良くないことを言われるかもしれないし、それで傷ついたら本物の私に傷がついた気持ちになる。元彼に振られたときに納得はしながらもすごくしんどかったのは、彼が本来の私を好きでなくなってしまったからだとも思う。
問題を指し示したその人も、自分本位な所がある人で、私が本来の私でうまくいかなかったときにどれだけフォローしてくれるか分かったものではない。組織に必要ない私になることもあるかもしれない。でも、今能力を発揮している大事なところだけ役目を果たしてくれたら、それだけでもう十分だとか、そういう風に言ってくれるのは嬉しかった。自分にない能力を無理をしてやるくらいなら、そうしなくても全くかまわないと言われたのは、本来の自分を認められたように感じた。
自分でも、ある意味トランス状態的になってそれ(人当たりが良くて明るくてリアクションが大げさで"ぶりっこ"の私)を演じていたし、そうなっているときは、その人にも言われたけれど、全く言葉は届かなくなっている。自分でも演じることに集中していて、話す内容とか諸々はほぼ覚えていない。こんなんじゃあ、本当は本当にだめだって思うのだけど。
相手によって態度を変えるのは当たり前で、社交的な自分も必要ではあるけれど、演じすぎてずれが生じてきていたから、これは、そのずれを正す良い機会なんだと思う。大事にして、取り組みたい。